2008のあゆみ
2008のあゆみ
人権啓発劇「ふるさと」(2008年上演)
海に浮かぶハンセン病の療養所。ハンセン病学習のために中学生が療養所を訪問しています。海岸を清掃中、美しい浜辺、涼を求めてやってきた若者と出会う。療養所での過去の悲惨な生活とは、裏腹に平和で何もなかったかのようによせてはかえす波。若者と中学生たちが療養所の歴史について話を始める。そこへ、入所されているお二人の方、中山さんと岡村さん夫妻が登場する。1幕では、ハンセン病とはどのような感染症かを会話の中から読み取って欲しい。完治する感染症であり、少なくとも戦後プロミンという特効薬ができてからは、隔離の必要もなくなった。しかし、それと矛盾することが平然と行われました。2幕は、良夫が、ハンセン病を発症し強制隔離されていく場面です。昭和17年、7月のことです。大阪で仕事をしていた兄が、帰郷し、弟を、療養所に連れて行く場面です。母がつくってくれる、大好物の卵焼きのにおいが、家中に広がり良夫はうれしくなります。しかしこの朝こそ、良夫にとって忘れもしない朝になるのです。患者たちは、強制隔離に際して、「治療をすればすぐ完治し、ふるさとへ帰ることができる」と言い聞かされて、入所してきました。しかし、二度とふるさとの土を踏むことはありません。良夫はそのことを知るよしもありませんが、家族はこのことを、自分自身に言い聞かせています。良夫と話ができるのもこれまでだと。
すぐ上の兄は悔しさを「元気なお前が何でこんな『病気』にかかるんじゃ。早う良うなって、帰って来いよ」の言葉に表されています。しかし、帰っては来られない。それどころか、筆舌に尽くしがたい生活が今から訪れようとしていたのです。
入所者の人々のお話や手記の中に「すぐに治って帰ってこられる」というお話や、記述のなんと多いことか。ほとんどがこうやって強制的に納得させられてつれてきたものだと思われます。この場面では、良夫は校医さんに「1年で帰って来られる」と言い含められたことを会話の中で話しています。母や、兄たちはこの感染症の恐ろしさを知っている。それは、感染症の恐ろしさではなく、家族がものの見事に引き裂かれていくこと。感染症にかかったものは、治療という名の下に、その存在自身を消されていくことを。そして家族もまた差別を受けるということ。
良夫が後年回想するシーンはこの場面(母や兄)がいかに多いことか、それだけに、ふるさと家族への想いは、消えることがない。卵焼きのにおいとともに・・・主人公、中山良夫が入所して2年が過ぎた昭和19年の療養所の場面です。入所者は、所内の道路工事に従事しています。軽症の患者が6人。あるものは砂利を運び、ある者は土をけんどにかけています。
療養所内の生活は、悲惨を極めるものです。場面は道路工事中の出来事です。全国で展開された「無らい県運動」により、全国の療養所へ隔離されます。そこで待っていたものは、「同病相愛」という名の下に展開された、患者が患者を介護し、衣食住全般においての原則、自給自足の生活であった。3幕では、作業の風景が出てきますが、所内での職員の理不尽さや差別の状況も描きます。また、少年時代の主人公は、友人たちとかくれんぼをしている最中に、ホルマリン漬けにされた胎児を発見します。驚愕する良夫。堕胎されたわが子の行方を、医師と看護婦に問う多田さんの姿。
2008年8月31日日曜日